価値

 ここ数ヶ月、酷く疲弊していた。様々な要因はあったが、自分自身の感情が間接的に歪められていた。昨年とは環境も情勢も異なり、TV、ラジオ、ネットニュース、SNSでネガティブな発信が連日連夜取り上げられ、その発信は負の感情が伴った各々の感想として捉えるには量が多すぎて、気が滅入った。最初は、社会情勢とそれに関する様々な意見は目にしておくべきと自らに律し、無理やり目に入れてたが、ふと馬鹿らしくなってやめた。ネガティブな情報ばかり見ていると、自分の考え自体もマイナスなイメージが纏わりつき、行動が委縮してしまうときがあった。なので、本当に必要な情報は自発的に検索して、インターネットの使い方を始めとして、健康的な暮らしを心がけようと思った。なるべく丁寧に。

 

 前日に明日のスケジュールを立て、それに沿って1日の行動を丁寧に遂行しようと努力した。朝早く起き、その時間帯にやるべきことを明確に区切った。まだまだ予定通りにいかない日のことが多いけれど、殆どスケジュール通りに行った日は、良い達成感を得ることができた。休憩時間はピアノや読書など、個人だけで完結できる趣味に費やした。ピアノは始めはうまく弾けなかったけれど、練習していくうちにフレーズごとだけど、弾けるようになった時は自分自身に感動した。

 

 もう少し自分自身を見つめ直す時間を作るべきだった。パソコンやスマホなど、何時でもインターネットにつないで、他者の意見を安易に見る前に、自分自身で思考し、逡巡して考えを見つけるべきたった。もう、他人の感情に惑わされるのをやめようと思った。自分に親しくしてくれる人をもっと大切にして、会ったこともない人のことを考えることはもうやめにしようと考えた。インターネットがネガティブな情報で溢れる今日こそ、始めてインターネットを使った日に戻ったみたいに、もう一度大きな線引きを定めて、他人に惑わされず何事においてもきっと大丈夫だと思えるような強い確信を持てるように努力したい。

ストリーミングとDVD

 Netflixタイタンズ』を観た。幼少期にカートゥーンネットワークで、アニメ『ティーン・タイタンズ』を長い期間楽しみに見ていたので、キャラークターの人物像や背景は未だに覚えていた。アニメ版では主要メンバーであるサイボーグが登場しないのは、映画『ジャスティス・リーグ』の方に出演しているので、DCユニバースではジャスティス・リーグメンバーとして活躍していくのか、はたまた大人の事情で出演できないのかが気になった。シーズン1の最終話で、ロビンの夢の中で、ビーチボーイズの「Wouldn't It Be Nice」が流れたシーンでは、それまでの急展開ぶりと合致していて少し感嘆とした。また、シーズン2のエンディングクレジットで、レディオヘッドの「Climbing Up the Walls」が流れた時は、どうしても感傷的な気分に陥ってしまい、要所要所での音楽の使い方が最高だった。『ストレンジャー・シングス』以来、久しぶりに一気見した作品だった。シリーズ1は序章に過ぎず、シリーズ2から面白くなる作品で、『ダークナイト』以降ヒーローとは善なのかというテーマにも則って、(ブルースウェインも本作に登場)話が展開されていくのも一辺倒でありがちな顛末ではなくて良かった。シーズン2のレイチェル(レイブン)の垢の抜けように驚き、作品内にもいい影響をもたらしていた。Netflixにコメディタッチのアニメ『ティーンタイタンズ Go』もたまに観ているが、ドラマ版の方が断然面白かった。どのシーンのを切り取っても、画面構図が様になって絵になっており、映像作品として耽美的だった。この機会に『ティーン・タイタンズ』の方も、配信されないかと期待している。

 

 以前ほど映画は視聴できていないが、ストリーミングサービスのおかげで気軽に視聴できるようになった反面、レンタルして観ていた時に比べて、集中力の度合いが変化していったと思う。海外ドラマなどは、長くても1話1時間前後で割と集中して視聴できるので、ストリーミングサービスの恩恵は受けていると個人的に考えているが、こと映画視聴においては、寝落ちする機会が格段に増えた。おそらくマウスオーバーする度にとシーケンスバーが表示されるので、あと2時間もあるのかと思案しながら視聴していることが、余計な思考がストーリーへの没入感を削いでいるのだろう。

 

 以前に増して、最近はDVDで作品を買うのが殆どだ。Blu-rayを再生できる機器もあるが、近距離で観る分に関しては画質がよくなるほど疲れしまう。字幕だけを追うにしても、作品内のアイテムの文字にしても、十分文字は潰れていないので、もうSD画質で十分だと考えるようになった。昨日、古いiMacタランティーノの『デスプルーフ in グループ・ハウス』を観直したが、作品自体のノイズが伴うフィルム感と、iMacの光沢感のない淡い色調が相互作用をもたらしていて、新鮮な気持ちで鑑賞することができた。やはり、ラストへ向かう爽快感は堪らなく、「THE END」の文字でいつも笑ってしまう。

聖地巡礼

 典型的な5月病になり、休日は趣味に興じることもなく、惰性的にYouTubeを見たりしていた。趣味自体も、映画を趣味と呼ぶには殆ど観ていなくて、もはや趣味ではないと自答していた。読書に関しても、小説は全く読む気も起らず、本棚から適当に手に取り、読んだことがある頁の文字の羅列を眺めるだけだった。コンビニで買ってきた『週刊ベースボール』を読みながら、テレビでプロ野球を見たりしていた。専攻に離れている分野であるほど、気楽に読めるため内容を楽しめている。それと積読していた『寄生虫なき病』というノンフィクションを読み始めたがなかなか面白い。

 

 特定の作品の聖地巡礼は殆ど行ったことはないが、以前行ったことがある場所が映画のロケ地だと最近分かった。田舎の原風景的な場所で、無人駅にはどこか哀愁があった。駅のすぐ近くに海水浴場があって、雄大な景色は心を落ち着かせた。市街地に続く傾斜には大きい坂があって、少し進むと住宅地があった。この場所に生まれていたら、海を好きになっていたかもしれないと思った。

 

 日本の原風景は各個人に共通項があるのではないだろうか。田園、無人駅、便が極端に少ないバス停、駄菓子屋のアイスクリーム、気怠くなるような湿度から来る暑さ。現在はそういった物が珍しく、自発的にそういった場所に赴く人は少なくなったと思案するが、煌びやかな場所よりも心身が落ち着き、癒しを得ることがある。こちらからその街の雰囲気だとかを感取し、自分の記憶と結びつけることで、新しい趣向を得られたような気がした。いい方向へ作用するように願う。

名探偵ピカチュウ

 ゴールデンウイーク只中だがあと1日で終わる。体調が優れない日が途中続き、幾分が休みが無駄になったことが残念だったが、前半は充実した時間を過ごせた。遠出した際に、普段自分からは見に行くことがない景色や体験ができたことは僥倖だった。

 

 ヨドバシカメラでイヤホンを購入した。イヤホンが断線してから、1ヶ月くらいスピーカーで音楽を聴く生活を送っていたが、強ち悪くなかった。普段から、移動中にもイヤホンで音楽やラジオを聴いていたが、音楽を聴かずに環境音に触れ、道慣れた歩道でも様々な考え事をしながら闊歩する日常は、忘れていた心の余裕を思い出すことができたので、いい気分転換の時間になっていたと思う。イヤホンを再度購入してからは、偶に音楽を聴きながら歩くが、以前に比べ聴く時間は短くなった。多分良い兆候だろう。

 

 映画を暫く観ていなかった。正確にいえば、映画自体は家で少しは観ていたが、疲れもあってか必ず終盤に眠ってしまい、結局途中から観るのも億劫になり、1本通して観ることはなかった。映画に対する姿勢で去年と違うことは、去年ほど家で映画を視聴できていないことだ。環境が少し変化して、妙に疲弊する状態に陥りやすくなり、家ではただ寝るか、本を少し読むくらいしか余裕を持てていなかった。以前から、少し楽しみにしていた『名探偵ピカチュウ』を観に行こうと、数日前から計画を立て、ようやく重い腰を上げて、観に行くことができた。内容はシンプルかつ脚本も非常に分かり易く、近年のハリウッド大作と同じで殆ど考えることもなく、受動的にスクリーンを眺めていたが、画面に映るポケモンを目で追うだけでも、視覚的に楽しめるものだった。CGで造形されたピカチュウが魅せる感情に富んだ表情や仕草に心を奪われた。もし現実世界にポケモンがいて、人間と共存できていたらという世界観に、観客は羨望し、そしてキャラクターに感情移入できる、リアルな余地がこの映画にはあった。

ROMA

 Netflixオリジナル作品『ROMA』を観るために、隣町の僻地にあるイオンまで行った。ちょっとした小旅行だった。早朝に起き、コンビニで軽食を買い、満員電車に揺られながら、目的地まで様々な考え事をしていた。映画館は平日の午前中ということもあり閑散としていて、箱の入りが気になった。普段から前列で観ることが多いが、自分より前に座っている人は誰もいなかった。結果として、集中して映画を鑑賞できた。

 

 『ROMA』の内容はさることながら、デジタルモノクロームの色調と劇伴が相互的作用をなしていて、凄惨な描写が幾つかありながらも、鑑賞後は暗澹とした気分に陥らなかった。鑑賞中は悲哀に満ち、主人公クレオに若干感情移入する場面はあったが、映画館を出た後は、歩きながらクレオの今後の幾つかの未来を想起していた。今後もストリーミング配信された映画でも、映画館で鑑賞できる機会が訪れることを切に願う。

 

 直接は関係ないが、ストリーミング配信された作品故か、劇場予告が少なかったのが良かった。劇場予告2本という短さは、今迄で一番短いかもしれない。また、馴染みのNetflixの赤字が、作品への配慮もあってか灰色の「N」だった点も好印象だった。逆に、オープニングクレジットとエンドロールが白字で視認性は良くなかったが、これは意図的にデザインしているのかもしれない。

白黒とiMac

 本棚を整理すると、未視聴の映画が数枚出てきた。クラシックのモノクロ映画を本屋で安かったので、数枚買った覚えはあったが、タイトルは忘れていた。近日中に『市民ケーン』は視聴しようと思う。モノクロ映画は、祖父の家で『ローマの休日』を何回か観て以来、視覚情報とストーリーテリングの互いのバランス、明示的ではない描写が好みだった。以後DVDで、『吸血鬼ノスフェラトゥ』とチャップリンの『ガス灯』を、午前十時の映画祭で、黒澤明の『生きる』と『七人の侍』を、そしてhuluで『ゴジラ』(1954)、『ゴジラの逆襲』などを観た。こうして羅列してみると、意外と視聴しているような気がしなくもない。それにしても、午前十時の映画祭が今年で終了するのは残念だし、TOHOシネマズの鑑賞料金が値上がりするのは、如何だろうかと思う。

 

 そのなかでも、モノクロで製作された印象的な映画は小林啓一監督の『ももいろそらを』だ。『ももいろそらを』は、耽美的な作品であり、ストーリ然り、白黒でしか映しだせない、カラーにすると普遍的で一般的な邦画に消化されそうな、唯一無二の世界観を構築し、モノクロの世界でフィクションが保たれている作品だった。その後、小林監督の『逆光の頃』(カラー作品)を併せて視聴したが、こちらも大林宣彦イズムを感じられ、京都の静と動を画面上から享受できた佳麗なジュブナイル作品だった。カラー映画全盛の時代に、敢えてモノクロ映画を撮ることは、傍から見ればアート映画のように映ることはあると思案するが、効果的にグレースケールを用い、作品上に幾多の広がりを含ませることができる作品なら、今後も需要はあるに違いない。

                                         


 先日、iMacを購入した。といっても、中古でまだアルミボディではなく、デザインが以前から気になっていた筐体が白い2004-2006モデルではあるが、スペック的には申し分はないので、気に入って利用している。良い状態で格安で購入できたので、つくづくラッキーだったなと思う。とは言え、セキュリティー問題や、Webアプリケーションが使えない場合が多いので、Windowsマシンはまだ手放せない。光学ドライブがまだついていた時期なので、iTunesにCDを取り込むのは便利だなと思う。ディスクを入れる際に、いつか取り出せなくなるのでは、と不安になりながらCDの表面積8割を指の腹で押すと、ようやく吸い込みを始めるのは、少し怖いが面白いくて愛嬌があるなと思う。

向来

 様々な事が一段落したので、映画を観るのを解禁しようと思う。2019年になって、映画をまだ1本も観ていないので、3年続いている年間100作品を視聴することは、今年は達成できないだろう。また、集中力の低下が著しいので、映画を観る行為に集中できる環境づくりから行いたい。手っ取り早いのが、映画館で鑑賞することだが、幾分自宅から距離が離れているので、腰が重い。HuluとNetflixに再契約し、90分以下の作品を観て訓練したいと思う。

 

  先日、『怪盗戦隊ルパンレンジャーvs警察戦隊パトレンジャー』が最終回だった。戦隊シリーズは、久しく観ていなかったが、番組改編で『仮面ライダービルド』、『仮面ライダージオウ』の後番組だったので、偶に観ていた。全ての回は観てないので、断片的にしか内容を把握していないが、ギャグ回が秀逸だったのと、戦隊同士が戦うという斬新な構図が良かったので、最初から観直したいと考えている。これで、また視聴するテレビ番組が1つが減ったので、そろそろテレビを処分しようかなと検討している。継続して観ている番組は、放送後公式で無料配信されているし、仮面ライダーに関しても、実家で録画できていて、もしもの場合はTTFCに加入すればいいので、いよいよテレビで観る意義がなくなった。23.8インチモニターを最近購入したので、ますます置物化することは免れない。

  

 ペイントソフトのライセンスと、Apple Musicのライセンスがそろそろ切れるので、更新する必要がある。後者のApple Musicは加入してから、今迄より音楽を聴く時間が格段に増え、ジャンルやアーティストに関して裾野を広げることができたので、通年契約にしようかなと思っている。前者のペイントソフトの方は急ぎではなく、先ずはアナログで練習することが優先だと考えているので、余裕があれば更新しようかなと思う。デジタル作画は、線画においてはアナログ作画の延長で、アンドゥ機能などで効率は上がるが、あくまで補助でしかなく、アナログ作画が如何に重要であるかを思い知らされた。彩色は別問題ではあるけれど、画力を向上させることは以後、課題になり続けるに違いない。